大好きの話

ランジャタイというコンビの国崎和也に恋焦がれてる。

 

あんなふうになりたかった。

 

 

私の中の往年の大スターはバカリズムなんだけどそれとは別に、来世は絶対こうなりたい!!が、国ちゃん。国ちゃんにしかなりたくない。

 

 

 

 

 

国ちゃんは天才で、でもちっともそんなこと思ってなさそうで、心の底から「こうやりたいからこうやってるのだ〜」過ぎて、どうしたって誰も敵わない。私が伊藤ちゃんのポジションだったら、とっくに死んでいる。「自分の頭の中を漫才にする」っていう、ダリみたいな芸術性とか押見修造みたいなネタの作り方が本当にかっけー!!!何でもできて天才だから、何も考えてないところも、赤ちゃんと一緒でカッコいい。ほんとに、かっこいい。

 

 

 

就活のエントリーシートで「尊敬する人物は?」「今マスコミ業界に推したい人を教えてください」的な詰問がきたとき、全部に「ランジャタイ国崎和也」って書いた。なんか、御社さまに対する自分の宣伝とかどうでも良くなって、途中から国ちゃんの凄さが伝わりゃ十分だってなったりした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼のエンタメで最も好きなのは、文章だ。

 

 

 

 

ある日、彼がふっとう茶⭐︎そそぐ子ちゃんという名前でやっているnoteの「まことくん」を読んで、心底、腹の底から、とびきり嫉妬した。凄くてすごすぎて、嫉妬した。

 

彼は、映画みたいに文章を書く。

印象派の画家みたいな文章を書く。

 

 

 

それは、「文章を書くのが得意」と恥ずかしげもなく昔から豪語している私にとって最も羨ましいことで、また同時に、私がどうしてもできないことだ。

 

私は、感情は書けるが描写が書けない。

 

ぐちゃぐちゃのグロテスクな感情を吐露するのは、それっぽくやれば誰でも書ける。本物もあるけど、偽物もたくさんある。私は暗くてあんまり言いたくないこととかを、呪いっぽく魔法っぽく書くのが好きだし、それしかできない。

 

 

 

 

だから、素直を書ける人が、ひどく憎たらしい。18世紀のフランス絵画みたいな、やわやわだけど絶対綺麗で、ちょっと浮いてる感じの芸術表現できる人に、いつだって憧れる。

 

 

 

 

 

 

国ちゃんの文章は、モネみたい。もしくはセザンヌの風景画のようだ。小学生の絵日記みたいな瑞々しい感覚で、でも、ちゃんと技術で、めっちゃ真っ直ぐ。でもアホっぽいとかそういう誤魔化し方してなくて、紛れもない「詩」なのだ。

 

 

 

 

 

 

ランジャタイのことは前からそれなりに好きだったが、国ちゃんのnoteを読んで、絶対的に惚れ込んだ。(セーラームーンが町に来る という記事も最高)

 

 

 

 

見た目も、彼に少しでも興味を持ってしまえばキャーキャー言ってしまうような絶妙に女に刺さる顔をしている。服も、なんかナンバガのTシャツとか着ちゃったりしてて、一定数キャーキャー言ってしまうような良い具合のサブカルみがある。

 

 

 

たまーにランジャタイのYouTubeとかに「国崎さんビジュ良」とか「イケメンですよね」とかコメントしてる女がいる。マジ消えろよって思う。俳優やアイドルなら全然アリだけど、芸人やってる人に「イケメン」とか「ビジュ」とか大々的に言葉にしちゃダメだろって固定概念があるのだ。だから私は友達とかにも言わない。

 

 

代わりに、5人しかフォローしてない鍵垢で国ちゃんかっこいいよおおおって一生言ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が1番キモいね!